半鐘の半死半生

社会に警鐘を鳴らす…わけもなく。

日本語と日本手話

立法と調査 386号(平成29年3月1日) (リンク)

日本語と日本手話 (リンク)
なる小論があったので、お知らせします。



例規の仕事を経験すると、言葉の定義や射程に敏感になる。

「手話言語条例」という言葉を聞いて、思ったのは、
なぜ言語? ということでした。

私は、言語かどうかは、学術的に決まるものと思っています。
まさか、言語かどうかを条例が決めようとでも?

ググってみると、手話は確かに言語のようでした。
ただし、手話には種類があって……というあたりから、話はややこしくなります。

条例がいう、「手話が言語であるとの認識」とは、
日本手話と日本語対応手話を、区別してのものなのか、違うのか。
その次第によっては、人は条例に異なるものを見てしまうのではないか。
その次第によっては、ややこしい問題のどちらかを支持してしまうのではないか。

手話なるものの使用が保障され、普及されるべきことに、異論はありませんでしたが、ことは単純ではないようです。
ああ、困った。

どちらかが「正解」ではないのでしょう。
しかし、条例を制定するのであれば、「選択」はしなければならないと思われます。
「(条例制定は)いいことなんだから」というだけでは済まされない、はず。

なお、冒頭の、言葉に敏感、の立場からすると、
手話“言語”条例というなら日本手話想定に親和的、
日本語対応手話を想定してなら、“言語”は非親和的、
という感はあります。この点もまた、「選択」になるのでしょうけど。

追記(3/14)
最後のほう、若干改稿しました。
ちなみに、「手話言語条例 日本手話 inurl:lg.jp」でググると、やはり議論があることがうかがえます。
埼玉県朝霞市は、日本手話を明言したんですね。潔いというか、わかりやすい。
なお、あえて選択しない、というのも態度のひとつでしょうが、態度の説明は、必要になるかと。

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