半鐘の半死半生

社会に警鐘を鳴らす…わけもなく。

これからの「正義」の話をしよう

『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル,早川書房)読了。
ちなみに、原題はJustice 副題がWhat's the Right Thing to Do?


1人を死なせて5人を助けるのと、5人を死なせて1人を助けるのと、選ばなければならないとしたらどちらにするか。
インパクトがある設題なので、どこかで目にしたこともあるのではないでしょうか。
(正確なところは「暴走する路面電車」(p.32)を)

公務員なら、ここは、
「御指示を!」
というところでしょうか。
いや、だって、そおゆう役回りじゃないですか。勝手したら怒られるんだもん。
それに、どちらを選んでも結局は叩(r
…スイマセン。


気を取り直して。

世の中、なんでも理屈で説明できそうな勢いですが、設題のような、どうしても葛藤する場面もあります。
なぜ葛藤するのか。
正義、ないし正しさを考えるに当たって、何を軸足にするのか、という問いかと思います。

そして、社会のありかたを考えるにしても、例えば大きな政府・小さな政府などといいますが、根底には、何をもって良しとするか、が問われるわけです。

 道徳をめぐる考察が政治に向かうとき、つまり、どんな法律がわれわれの共同生活を支配すべきかを問うとき、市民による騒動は避けられない。(略)そうした論争を通じてわれわれは、道徳的・政治的信念を明瞭にし、正当化する--しかも家族や友人だけでなく、同じ市民という要求の厳しい仲間のあいだにおいても。
(略)
 この本は思想史の本ではない。道徳と政治をめぐる考察の旅をする本だ。旅の目的は、(略)読者にこう勧めることである。正義に関する自分自身の見解を批判的に検討してはどうだろう--そして、自分が何を考え、またなぜそう考えるのかを見きわめてはどうだろうと。(p.42-43)。


本来は、政治のほうで考えていただく話ですから、私たちは読まなくてもいいのでしょうが。
なまじ読むと、意見の違いが際立って、要らぬ衝突をするハメになるかも?
でも、私は自分の中に軸足を持ちたい性質ですから。読んでおもしろかったです。

仕事の観点から目に留まったのはこんな一節。

 法律がどうあるべきかを決める際、ベンサムであればあらゆる種類の好みをその価値にかかわりなく考慮することだろう。しかし、レンブラントの絵を鑑賞する人より闘犬を楽しむ人のほうが多い場合、美術館より闘犬場を助成すべきなのだろうか。(p.72)

もし、政治のほうで決めてくれなかったら、私たちはどうしましょうかね? 大勢が喜ぶ方がいい?

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