半鐘の半死半生

社会に警鐘を鳴らす…わけもなく。

街場の大学論

『街場の大学論』(内田樹,角川文庫)読了。去年の話ですけどね。出て早々にペロリと。

本書では、地域社会にとっての大学の意義(貴重だよね)とか、大学経営のダウンサイジング(少子化なんだから絞ろうよ)とか、論文の書き方とか、また、大学評価や教員評価について語られます。

読んでみて思うのが、大学もまた、カネや成果でしか測らない悪弊にさらされつつあるのだなということ。一方で、一部の大学は、自ら、そういう市場原理に適応した経営をしつつあるようです。
その他いろいろ。官僚さんとの対談も、なかなか興味深い。

研究費の話もありましたが、それで、ノーベル賞のことを思い出したりしました。
一昨年、昨年と、日本人のノーベル賞受賞に世間は喜んでいました。
しかし私は、少し不安でした。研究費が世知辛いという話は、伝え聞いています。
いま、30年後にノーベル賞を受賞できるような研究は、されているのだろうか?
そういう可能性のある研究(とまだわからないもの)に、お金はついているだろうか。
目先の成果で測られてばかりで、切り捨てられてはいないか。
そんな風に思ったっけ。
閑話休題。

教員評価システムの導入に当たり、著者は責任者でしたが、あとがきで次のように述べています。

 その決断が拙速であったことに、評価システムを導入して一年ほどで気づきました。僕は重大な点を二つ見落としていたからです。
 ひとつは「評価コスト」を過小評価していたこと、ひとつは教員を「給料分働かせる」ためのシステムは、「給料以上のオーバーアチーブをしている教員たち」の活動を少しも支援せず、むしろ妨害すること、この二点です。(文庫版あとがきp.338)


これは、納得だなあ。前者で言えば、コストは、かかるんです。似た話に、病院評価もありますね。評価のために時間がかかる挙句、肝心の、患者に向き合う時間が減ってしまうという。
行政も内部評価はいろいろやっていますが、正直、評価の時間がもったいないと感じる瞬間はあります。この時間で、ほかに何ができるかな、とか考えちゃう。まあ、うまくバランスを取ってやらないとね。
後者については、自分のところであればどうかは何とも言えませんが、言いたいことはわかりますし、実際そうかもしれません。人事筋にこの考えを見せたら、どんな反応をするだろう。

あと、意外な味わいがあったのが「第9章 一九六六年の日比谷高校生・吉田城と新井啓右の思い出」
青春のあるとき・ある場所に、同じくいたものだけが知る「空気」のこと。
原器とする友人を失った喪失感の共有。
いつもの内田節とは違う、読んでいて、しみいる文章なんです。
どこかで似た感覚を味わった気がするのですが… ジャック・フィニィの匂いかな、これは。

付言B | コメント:0 | トラックバック:0 |
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