半鐘の半死半生

社会に警鐘を鳴らす…わけもなく。

住民投票よもやま・2

(つづき)

次に、住民投票に際しての、選挙運動ならぬ住民投票運動について。
選挙運動については、戸別訪問の禁止をはじめ、いくつかの制約がありますが、住民投票においては、そうした規制は必要でしょうか。
普通に考えれば、特別な地位がかかっているわけでもなし、あまり心配する必要はないように思います。基本的に、案件の理解のための活動は、活発に行われたほうがいいくらいですし。
さすがに、夜間訪問や連呼はやめた方がいいでしょうが、ネット上の運動などは、解禁で問題ないでしょう。
それでも、例えば、運動の資金力で優劣がつかないようなしくみを必要とする事態がありうるのか? 幅広く想定しておくべきですが、なかなか想像力が追いつきません。

最後に、アンケートと住民投票の違いについて。
気軽に意向調査をするならアンケートでも足ります。
両者の違いはなんだろうかと考えると、結果に対する責任の違いに思い当ります。
アンケートでは、言い方は悪いですが、個々人は結果に責任を負いません。
ある案件について、なんとなく回答してもいいし、全体の結果に従ういわれもない。
しかし、住民投票として実施されると、
ある案件について、全体の結果は甘んじて受け入れなければなりません*1 それゆえ、なんとなく回答することはできない。
住民投票が諮問型であっても、当の住民自身に対しては、拘束力を帯びるのではないでしょうか。

話は少しそれますが、直接請求の対象に税を含めることの是非について、片山総務相(当時)は、住民を信頼すべきとする立場でありましたが、きちんと考えてもらうための説明が欠ければ、ただの人気投票になってしまう危険は常にあります。
(およそ、択一方式の投票は、留保条件とか副作用の部分を捨象しがちで、そういうのも、きちんと考えることを難しくする方向にはたらきます。)
まこと、自治体も「住民も」、自治力を「試される」話でありまして、ホント住民投票は地獄だぜフゥハ(略

*1 たとえ民主党に投票しなかったとしても、民主党が政権党であることから逃げられないように。

一言L | コメント:2 | トラックバック:0 |
<<大都市のあり方について | HOME | 住民投票よもやま>>

この記事のコメント

諮問型住民投票は、首長なり議会に採取的な裁量権がありますから、住民に拘束力があり責任があるというのは言い過ぎではないでしょうか。
アンケートとなんらかわらず、附属機関ではない審議会(懇談会)の委員とかパブコメも同様でしょう。自分の意見を勝手に申し述べるだけですから、その発言に責任は負いこそすれ、全体の議論をうけ、首長なり議会が判断したこととは無関係です。

むろん、諮問型であれ懇談会であれ、パブコメであれ、あるいは、それらを通じた市民参加の手法をとらないものであっても、首長なり議会なりの結論を、住民は甘んじて受け入れなければならない、というのはそのとおりです。
2012-02-22 Wed 10:31 | URL | g@yyt [ 編集]
最終的な責任が首長・議会にあるのはもちろんです。

ただ、私がフォーカスするのは、
首長・議会側と住民側という二項関係で見る場合において、住民側が住民投票の結果を以って「“私たち”の意見はこうです」と首長・議会側にいうとき、少数派の住民も“私たち”の一部であり、そこから無関係ではいられない、ということです。僕の考えは違う、と言うことは構いませんが、しかし投票結果は動かない。
ですから、首長なり議会が最終的に判断したことに対する責任というのではなくて(もちろん負うはずがない)、その手前の、住民の総意に対する責任というような意味合いです。
2012-02-23 Thu 01:11 | URL | 半鐘 [ 編集]

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |