半鐘の半死半生

社会に警鐘を鳴らす…わけもなく。

修業論

『修業論』(内田樹,光文社新書)読了。

内田先生は武道家でもあります。武道方面の話なら買わなくてもいいかなと思いつつ、まえがきを読んでいると。

>修業の意味は、事後的・回顧的にしかわからない
とありまして

修業する人は、「自分が何をしているのか」を「しおえた後」になってしか言葉にできない。

(中略)

修業は商取引とは違います。「努力」を代価として差し出すと、使用価値の明示された「商品」が手渡されるというシンプルなプロセスではありません。だから、消費者として育てられてきた子どもには意味がわからない。


私事になりますが、例規の仕事をするようになって、(不十分にしても)なぜ自分なりの見立てができるようになったのか、自分ではまるで説明ができません。
海に投げ入れられれば、谷底に突き落とされれば、そのうちなんとかなるんだよ(するしかないんだよ)、といった感想しかないんです。
そういう感覚のところに、このまえがき。
このまえがきのためだけでも、お金払おう、と思ってしまいました。

で、読めば、それなりにおもしろいです。

喩えて言えば、「鍛える」というのはハードディスクの容量を増やすことであり、「潜在的な能力を開花させる」というのはOSをヴァージョンアップすることである。


ああ、なるほど。
成長というと、グラフの右肩上がりの直線(若しくは曲線)のイメージがありますが、あるとき、グラフを描く紙自体が切り替わるということが起きるわけですね。言われてみればそうです。人の成長に対して「化ける」といったりしますが、なるほど、符合します。

そのほか、「無敵」を巡るお話も、なかなか興味深いところでした。
内田先生の「無敵」と現大阪市長の「無敵」は、いかにも違いそうだなあ。

ということで、興味のある方は、どうぞ。

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