半鐘の半死半生

社会に警鐘を鳴らす…わけもなく。

台詞と科白

日経の18日の紙面(文化面)に、劇作家の別役実氏の寄稿がありました。

 舞台で俳優がしゃべる言葉を「せりふ」と言うが、これを漢字で書く場合、「台詞」と「科白」の二通りがある。もちろん、内容も少し違う。「台詞」は言葉だけのものを言い、「科白」は、それに仕草が加わったものを言うのである。

演技者に対する「煙草はせりふを割って吸え」という教訓を挟んで、

 何故今ごろ、演劇においては古くからある、こうした教訓を持ち出さなければならないかと言うと、ほかでもない、今日我々の周辺を飛び交う言葉が、次第に「科白」のニュアンスを失い、「台詞」でしかないものになりつつある気がするからである。
 (略)言葉は、意味の記号化された「台詞」としてのみ流通し、「科白」としての質感を失っていったのである。

等と続きます。

言葉(科白)は相手と共有し共鳴するもの、ということなんですが、示唆に富むお話でした。

思えば、マスコミによる政治家の発言への批判や、ネットに見られる激しいコメントの応酬というのも、「台詞」への反応と見ると合点がいくような気がします。
また、ついでに言えば、人でなく記号を相手にしているようでは、確かに不寛容にもなりますわね。容赦ない。

ホントは全文を紹介したいところですが、そうもいきませんのでそこは我慢。よろしければ、原文に当たって、切り取った台詞(引用)ではなく、科白として読み直していただければと思います。

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