半鐘の半死半生

社会に警鐘を鳴らす…わけもなく。

たり・たり

○○したり、××したり、
の「たり」は、繰り返して使うのがセオリー。

なのですが、必ずしも浸透していないようで、時折、それを指摘することもあります。

参考。
 「~たり~たり」
 http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/154.html

最近では、こういうのもありました。
 「~たり、~たり」を省略しない理由
 http://www.mainichi-kotoba.jp/2016/01/tari.html

1つだけで使うならこのようにする、というのは、応用として押さえておきたいですね。



ええい、プリンセスプリキュアという作品は、化け物か。(※良すぎる、という意味で)

語らずにはいられないので語ります。

47話。プリンセスになるとは、の答え。プリンセスとは生き方、という落としどころは想定していたけれど、夢と花との重ね合わせで説得力を持つ。と同時に、主人公をフローラとした意味も、ここにあったのかと思い知らされる。また、シャムール先生のレッスンにもちゃんと幕引きをしたところがよい。行き届いている。

48話。30分で何回泣かせるつもりなのか。正体を明かして戦う決意をするところ、ゆいとみんなが絶望から抜け出すところ、シャットの「変わるぞ!」のところ。それと、これは言っておきたいんだけど、正体を明かして戦う決意をするところで、きららは、笑って踏み出すんだよね。そうだね、よしきた、って感じの笑顔で。キャラをよくわかってる、キャラがよく理解されているということが、伝わるシーンだった。

49話。もう言葉にならない。主役4人、生徒たち(園長・白金さん含む)、妖精2匹、カナタ・シャムール、シャット・ロック、みんなに見せ場がある。1年前は、プリキュアに光が集まっても、へー・ほー・ふーん、だったけど、今年のは、違う。確かな理由が、ちゃんとある。わかる。

こういう言い方は失礼かもしれないが、前作の反省が、見事なまでに結実しているのではないか。
「ありがとう、あなた(ハピプリ)がしくじってくれたおかげで、私いま、こんなにも幸せだよ」

妄言 | コメント:2 | トラックバック:0 |
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この記事のコメント

どのキャラクターがどんなことをできるのか、しようとするのか、送り手側で共有されているのが心地よいです。


新シリーズが始まって、そして、終わりが近づくたびに、
ああ、これこそいままでのシリーズの総決算で、ここからまたシリーズが生まれ変わるんだ、そう思ったり、あとあと、ここがシリーズの転換点だったんだと思うようになったりするんだろうな、
そんな考えを巡らすのですが、今回は、ひとしおです。

「わたし(とあなた)の物語」だったものが「わたしたち(・ぼくたち)の物語」に変わっていって、最後に「みんなの物語」に結実する。
シリーズの歩み(の良いところも悪いところも)とも重ねながら、ただただ涙するしかありませんでした。

遅れての感想ですが。
2016-01-30 Sat 21:03 | URL | nao [ 編集]
ビジョンの共有(するはず)も1年間という期間も、条件は毎年同じはずなのに、今年は何があってこんな奇跡的な出来になったんでしょうね。

最終回の感想は、また別途で。
2016-01-31 Sun 20:51 | URL | 半鐘 [ 編集]

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